自分を苦しくしていた考え方に気づく

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 先を先を計算する考え方

人が頭の中で考えていることは目に見えませんから、他の方がどのような考えをしているのかは存じ上げませんが、最近になって「自分の考え方」が「私自身を苦しくしていた」ということにようやく気づきました。

自分ではその考え方でずっと生きてきたので、それが「おかしい」とも それが「苦しさの原因」だとも、思いも及びませんでした。

私を苦しくしていた考え方の1つは

「先を先を計算する考え方」

「次はあれをして、これをして・・・。ああ、ついでにあれもして」

と以前の私は、料理の準備をしながら、洗面所の掃除をしながら常に「先のこと先のこと」を考えていました。

私にとって それは「あたりまえ」のこと。

「先のこと先のこと」を考えるからこそ、物事は全てうまくいっているのだ、と思い込んでいました。

けれど、心が「先のこと」を考えている間、目の前のモノや仕事、つまり「今」には目が向いていません。

それはあたかも、朝ごはんを食べながら、昼ごはんと夜ごはんのメニューを考えているようなもの。

せっかく作った朝ごはんの立場は一体・・・

 無駄なく効率的にという考え方

そして、私が「先を先を計算する考え方」をしていた根本の考え方は、「時間を無駄なく効率的に」使いたい!という考え方。

なので、計画通りにコトが進まないとイライラを感じたり、予定外のこと、例えば歯を磨いているときに洗面所で汚れをみつけてしまうと、「余計な仕事が増えた」とストレスを感じてしまったり・・・

自分だけのことならそれで良かったのですが、子どもが産まれると、その考え方はストレス以外の何物でもありません。

まだ出来ないことが多く、「無駄」ばかりをしてしまう子ども相手に、頭では「子どもは出来なくて当然」と思いながら、イライラを感じてしまう自分に自己嫌悪を感じていました。

幼稚園まで手をつないで歩いているとき、足の遅い長女と歩いていると、いつの間にか私の方が一歩先に歩いてしまい、子どもに歩調を合わせられない自分に居心地の悪さを感じたり、靴を上手に履けない次女を待つことが出来ず、つい、手を出してしまったり。

もっと、子どもをゆったり待つことの出来るおおらかな母親になりたいなぁ・・・という思いはあるものの、どうすればそうなれるのか分からないまま、母親を7年続けてきました。

 「焦り」を感じないことの幸せ

「先を先を」と「無駄なく効率的に」という考え方が、最近変わりました。

自分で考えるよりも「ひらめき(=潜在意識)」に任せる方がうまくいくことが分かったからです。

具体的に何をしているかというと、何かの作業をしているときに、その作業以外の「思考(雑念)」が湧いてきたら、その「思考」を敢えてストップさせて、心の中で「ひらめきに任せます」と唱えています。(「そのムダな思考はブレーキだ」

その効果は、最近「焦り」を感じなくなったことで実感しています。

「焦り」を感じない。

これは、本当に ラク です。

自分で先を考えて全てをコントロールしようとすることを手放し「ひらめきに任せる」ことで、自分がやっていることの全てに無駄なんてないのだと思えるようになりました。

以前は、「こんなことやってる場合じゃないのに」という思いを抱きながらする作業や仕事は「無駄」だと思っていたから苦しかったのです。

でも、全て必要で無駄じゃない、と思えれば目の前のことに集中できるし、「無駄なことを早く終わらせなくちゃ」という「焦り」も感じる必要はありません。

「今」を生きずに、「未来」&「無駄なく」と考える生き方が、常に何かに追い立てられているような「焦り」の原因だと気づいたとき、自分の中の不要な力が抜ける感じがしました。

人はみな、「幸せ」になるために生きています。

嬉しい、楽しい、有難い、幸せ・・・という気持ちを感じることが「幸せ」だとすれば、「幸せ」は未来にあるのではなく「今」感じるもの。

「今」を生きずに過去や未来に思考がさまよったままで、「今」の幸せを感じることは出来ません。

私のような「せっかち」さん、いらっしゃいませんか?

そのせっかちな考え方は、無くても、いえ、無い方がうまくいきますよ。

【 編集後記 】

今日は連休明けの平日。

パワー不足を感じていたので、またもや「自然パワー」を補充するためプチ森林浴へ。

(2度目の今回は、ホットコーヒーとピクニックシート持参で(笑))

約2週間ぶりに来た山は、セミの鳴き声より鈴虫の音が響き、どんぐりが風に吹かれて落ちる音がおもしろい秋の風情になっていました。

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