子どもの為に親ができることは

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 小学2年生のとき

小学2年生の長女が読む本は、「野菜の育て方」や「ℓ(リットル)・㎗(デシリットル)の話」など、図鑑的要素の本ばかり。

以前、「子供が読書に目覚める瞬間」という記事を書きましたが、気のせいだったようで、読書に目覚めてはいませんでした。(苦笑)

親としては「そろそろ本を読む楽しみを知って欲しい」と思っていたところ、珍しく「小説仕立て」の本を学校の図書館で借りてきました。

どうやら、お友達に「面白いよ!」と勧められて借りてきた模様。

(お友達お手製の娘の似顔絵「しおり」まで一緒に挟んでありました。可愛いですねぇ)

それ以来、本に集中する姿が見られるようになり、「親」より「友達」の影響力が強くなったのだな・・・と、変化を感じました。

そういえば、私が月刊マンガ雑誌「りぼん」に出会い、『ときめきトゥナイト』にハマったのも小学2年生の時。

その頃からの記憶は、鮮明に残っています。

小学2年生。

今までは「選択権」は常に親である私にあって、ベネッセのしまじろう、習い事や本など (ほぼ)私の意見で選んでいましたが、今後は、彼女自身が選んでいくのかな?

まだまだ幼いと思っていた子どもの人生が、自分と同じように「子ども自身のものである」ことに気づかされました。

 子どもを信じる

最近、朝ごはんの前にチャレンジタッチをしたり、自ら宿題を始める姿が見られるようになったり・・・

(チャレンジタッチについては、「チャレンジタッチに変更したわけ」

「チャレンジタッチに変更した結果」に書いてます。)

私が口出ししなくても、子ども自身で考えて行動するようになったことにも変化を感じます。

(もちろん、まだ子ども。ムラがありますが・・・)

親は出来るだけ、子どもに嫌な思いや悲しい思いをさせたくないと考えていますが、子どもがある程度大きくなって、自分の人生を歩み始めたら、常に一緒にいて守り通すことは不可能。

長女は小さい頃から顔に何針も塗う怪我を負ったり、親である私の方がショックを受ける怪我をすることが度々あり、「なんで?」と苦しく思うことが多かったのですが、

自分に起こることがすべて「情報」であり、「必然」であるように、

子どもに起こることもすべて「情報」であり、「必然」であるなら、

子どもの身に起こることは、すべて「この子に必要なこと」。

そう考えて受け入れ、見守ることが これから成長していく子どもの為に親である私ができることのひとつなのかもしれません。

その人が乗り越えられる試練しか与えられないなら、子どもの怪我は

「この子なら、この試練を乗り越えられる!」と「子どもを信じる」のが親の務め。

子どもが怪我をしたとき、何度も自分に言い聞かせた言葉を、再び思い出しました。

 今 親としてできることは

先ごろ、読売新聞で「中高生が平成の次の時代で大切にしたい価値観」などを尋ねるアンケート結果が公表されました。

1位は「平和」で全体の41%。

2位は「安全」

3位は「安心」

私の中高生時代は、「平和」は当たり前のことで、敢えて 大切にしたい価値観とまでは考えてなかったと思うので、頻繁に起こる震災や雇用形態の変化等により、時代が変わったことを感じます。

アンケートの中で、大人が疲れていて、大人になって働くことにネガティブな印象を抱いている、というような意見があり、これは問題だな、と思いました。

子どもが親や大人の姿を見て、将来に夢を抱けなくなるなんて、悲しすぎます。

自分が生き生きと働く姿や、夫婦が仲良く過ごす姿を子どもに見せることで

「大人になって働くことは楽しそう」

「結婚して家庭を持つことは幸せなことだ」

と思えるような生き方をすること。

それも、子どもの為に親ができることの一つだと感じました。

母親が子どもに与える影響は、一緒に共有する時間が多い分強いもの。

「お母さんになっても楽しく働けるんだね!」と子どもに思ってもらえるような生き方をしたいですね。

【 編集後記 】

「りぼん」のことを子どもに話そうとした瞬間、

「もし、子どもがハマったら?毎月あのマンガとふろくが増えていくのは耐えられない!」と躊躇してしまいました。

だって、片づけ好きですから・・・(笑)

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