発泡スチロール事件勃発!
先週末は3連休。
にもかかわらず、主人が仕事で不在の為、子どもと3人の休日です。
連休初日は子ども達だけで祖父母宅へ遊びに行き、連休2日目は家で3人、ゆっくり過ごすことに。
子ども達は2人で楽しそうに遊んでいるので、私は午後から仕事部屋で自分の仕事に集中。
開業してからは「休日」という境(さかい)がなくなりました。
「平日」の時間を子どもの学校の行事のために使う自由もあれば、「休日」を仕事や勉強のために使うことも自由です。
というよりも、休日であっても、仕事・勉強をしたくてたまりません!
これは、「自分の人生の時間を 自分の好きに楽しむ」という点では良いことですが、家で働く子育て中の母親にとっては逆に、不自由な点も。
休日の方が、子どもの対応や家事が増えますから(苦笑)
そろそろ夕飯の支度でも・・・と思ってリビングへ行くと、そこは・・・
発泡スチロールが雪のように一面散らばり、床も 壁も 子ども達も 小さな発泡スチロールの粒だらけ!
発泡スチロールを砕くと小さな粒状になるのはご存知でしょうか?
子ども達は、それを「雪」に見立てて、どんどん砕いて「雪遊び」をしていた模様。
けれど、その「偽りの雪」は、静電気でくっつくと離れない 厄介なシロモノなんです。
「自分たちでやったんだから、自分たちで片づけなさい!」
と言ってはみたものの、子ども2人で到底片づけられるものではなく、コロコロで地道に取り続けること2時間半。
部屋を片付けても、子どもが動くと、またもや白い粒が出現!
子どもの洋服は、シャツもパンツも外側ばかりでなく、内側まで発泡スチロールの粒だらけなので、子どもが寝た後も、コロコロでひたすら取り続けることに・・・
「なんで、こんなことに「大事な時間」を使っているのだ?」と考えると、ため息。
母親にとっては散々な、連休2日目でした。
この出来事の意味はなんだろう?
翌朝、「発泡スチロール事件が起きた意味はなんだろう?」と考えてみました。
何の意味もないことが起こるわけはないのです。
子どもの立場で考えると、母親が別の部屋で集中しているから、自分たちの好きに出来たわけです。
きっと、長女の心の中は
「発泡スチロールを崩すと小さくなって雪みたい。そうだ!いっぱい崩してこれで雪遊びをしよう!」
→「楽しい!頭からかけちゃえ!」
→「ちょっと散らかり過ぎた?やばい・・・ママに怒られる!早く片づけないと」
→「あれ?掃除機吸わなくなったぞ。どうしよう。掃除機壊れちゃった」
(掃除機は吸い込み過ぎて、動かなくなっていたので、後で私が直しました)
→「ママ、すごく怒ってる。ごめんなさい」
そして、次女は
「ママ、あんなに怒らなくてもいいのに。あっち(=自分のこと)もう、疲れた・・・」
(なかなか片づけを手伝わない次女はおそらく何も考えてないのか?)
大人は、「発泡スチロールが厄介なモノ」だということを知っているから、
「なんてことしてくれたんだ!」という反応になりますが、
子どもは「発泡スチロールがそんなに大変なものだとは知らなかった」んですよね。
そう考えると、頭ごなしに怒ったことはちょっと可哀そうだったなと反省。
人間、何かに集中できるときって 充実感がありますよね。
そして、つい集中し過ぎて、子どもを放ったらかしにしてしまうことも・・・。
また、集中すると「邪魔をしないで」という気持ちが生じます。
子どもは2人で遊んでいるから大丈夫、と思っていましたが、母親の意識が別のところにあると、子どもは意識的にか無意識的にか、「こちらを向いて!」と言わんばかりのことをするのでしょうかね。
やはり、休日は休日。
「この出来事の意味は」子どもが母親を必要としている時期は、(自分のことはほどほどに)子どもと向き合う時間を取りなさい、というメッセージだと受け取りました。
敢えて家の外に出る
連休最終日の3日目は午後から、なみきスクエアで行われていた子ども向けの体験・ワークショップに子どもと2人で出かけることに。
「アイシングクッキーづくり体験」や「水引を作る体験」など、家ではできない体験を楽しみました。
アイシングクッキー作りでは、4歳次女が思いのほか集中して、クッキーにこれでもか!とアイシングでペインティングし、とぉっても甘そうなクッキーが出来ました(笑)
その時、幼稚園のママ友と遭遇。
彼女は、幼稚園児、未就園児、乳児3人の母親でありながら、町内でイベントがあれば子ども3人を連れていき、なおかつ、お子さんとママおそろいのお洋服まで手作りされる方!
出不精で、手作り苦手な私にはとても真似が出来ない!
以前から「理想的なママ」ね!と感心していました。
その彼女が
「家にいると、つい自分のやりたいことに集中してしまうので、外に出るようにしてるんです」とおっしゃるのを聞き、びっくり!
確かに、「自分のやりたいことに集中」するのは楽しいけれど、反面、子どもを放ったらにしている罪悪感は常につきまといます。
母親は同じような感情を抱くものなのですね。
その日の夜は、子ども達は常時ご機嫌で、9時前には素直に布団に直行。
私も、子どもが寝た後のひとりの時間をいつもよりも穏やかな気持ちで過ごすことが出来ました。
休日に、子どもとの時間を意識して取ることは、子どものためだけではなく、子どもが喜ぶ姿を見ることで母親の心も明るくさせるようです。
自分のことばかり考えるのではなく、相手(子ども)のことを考えることが出来たとき、人間は幸福感が増すということですね。
家にいると、つい、自分のしたいことをしたくなるので、外出予定がない日でも、敢えて子どもと向き合うために家の外に出る、という選択。
出不精の私には、大きな「気づき」となりました。
発泡スチロールだけは、子どもだけで遊ばせると危険!ということも(笑)
【 編集後記 】
発泡スチロールは、翌日もあらゆる場所から出現!
(写真は翌日、テレビボードを動かした際に出てきたもの)
しぶといです・・・