「幸せ」に名前をつけてみる

Pocket

 『青い鳥』の2冊同時読みをしてみる  

とある本を読んでいたときに「幸せの青い鳥」という言葉をみつけ、

「そういえば、なんとなく知っているけれど、ちゃんと本を読んだことはないな」

ということに気づきました。

ちょうど図書館に行く日だったので、早速『青い鳥』の本を借りてみることに。

どうせなら小学生の長女にも読ませてみようと岩波少年文庫の『青い鳥』も借りてみました。

ところが、岩波少年文庫の本は小学5・6年生以上が対象。

さすがに小学2年生の長女には難しいかなと思っていたところ「ひらめき」ました!

「訳者の違う同じ本を同時に読んだら面白そう!」

ということで、堀口大學さん訳の『青い鳥』と末松氷美子さん訳の『青い鳥』を同時に読んでみました。

『青い鳥』は戯曲(演劇の脚本)のため、場面の幕が変わるたびに交互読みしてみました。

2冊同時読みをして感じたことは次のとおり。

・同じ本なのに訳者によって表現やニュアンスが違うのがおもしろい。

・子ども向けのものも大人向けのものと全く変わらない。(多少、ひらがなが多い程度)

・続けて同じ場面を2度読むので理解が深まる

・1冊ずつ読むより短時間で本を読める

そして何より子ども向けのお話だと思っていた『青い鳥』は、大人になって読んだ方がより深い意味があると感じたことです。

何気なく読む気になった『青い鳥』にこんな風にハマるとは思いませんでした(笑)

おそらく多くの方が知っている『青い鳥』の話は、チルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を探す旅にでかける夢物語。

魔法使いにもらった帽子についたダイヤモンドの力で、見えないものを見ることが出来るようになり、犬やパン、光の精達と話をすることも出来ます。

死んだ人のいる「思い出の国」や生まれる前の子ども達のいる「未来の国」の話も深いのですが、今回は「幸福の楽園」にいる「幸福たち」について書いてみようと思います。

 見せかけの幸福 

「幸福の楽園」には人間のすべての「喜び」と「幸福」が集められていて、「運命」がその番人をしています。

「不幸」たちは「幸福の楽園」のすぐ隣に住んでいて、その境はもやがごく薄い幕のようなもので区切られているだけ。

「幸福」と「不幸」がすぐ隣り合わせにあるということですね。

「幸福の楽園」でチルチルたちがまず出会ったのは、おもしろそうにして、たくさんのごちそうを食べている太った人たち。

これは、人間の目で見ることのできる、この世で「一番ふとりかえった幸福」たちです。

ふとりかえった幸福たちは次のとおり。

・「お金持である幸福」(幸福の中でも一番太っている)

・「ものを所有する幸福」

・「虚栄に満ち足りた幸福」

・「のどがかわいていなくても飲む幸福」

・「おなかが空いていなくても食べる幸福」

・「何も知らない幸福」

・「何もわからない幸福」

・「何もしない幸福」

・「必要以上に眠る幸福」

・「ばか笑いの幸福」など

ふとりかえった幸福たちは「なんにもしないことで始終忙しい。ほんとに一分だって休む暇がないぐらい。飲んだり、食べたり、眠ったりしなければいけない。それがおもしろい」と言っているのですが、どうでしょう?

彼らはダイヤモンドの真実の光に照らされた途端、破れた風船玉のように、見る間にしぼんでしまい、本当の自分の姿(裸で醜くぶよぶよでしまりがなく、情けない姿)に気づくと、恥ずかしさと悲しさのあまり「不幸たち」のところへ逃げて行ってしまいます。

ふとりかえった幸福たち=見せかけの幸福たち・・・

きっと誰もがこれらの幸福達で、束の間「満たされたような気分」になることはあるでしょう。

けれど、それはほんとうの幸福ではなく、「不幸」と紙一重だということですね。

 ほんとうの幸福 

「幸福の楽園」はダイヤモンドの真実の光のおかげで、前と同じところにいるのに違ったように見えます。

それはチルチルたちの目が「物事の本当の姿」を見ているからです。

そしてダイヤモンドの輝きにも負けない「幸福」の精たちと出会います。

まず最初に出会ったのは「子どもたちの幸福」。

けれど、すぐに通り過ぎてしまいます。

子どもの時代はとても短いので、「子どもたちの幸福」も時間が惜しいのです。

次に出会ったのはチルチルたちのお家の幸福達。

「いつだってあなたのまわりにいるんですよ。そして、あなたと一緒に食べたり、飲んだり、目を覚ましたり、息をしたりして暮らしているんですよ。」

・リーダーは「健康である幸福」(一番美しいというものではないけれど、一番大事なもの)

・きれいな空気の幸福

・両親を愛する幸福(灰色の着物を着て、いつも少し悲しそう。全然見てもらえないから)

・青空の幸福

・森の幸福

・昼間の幸福

・春の幸福

・夕日の幸福

・星の光出すのを見る幸福

・雨の日の幸福

・冬の火の幸福(こごえた手をあたためてくれる)

・無邪気な考えの幸福(幸福たちの中で一番輝いている)

そして「大きよろこび」たち。

チルチルが「大きなよろこび」たちを見て、みんなきれいだなあ!でも、どうして笑ってないの?嬉しくないの?という問いに対して

「人が一番幸福なのは、笑ってるときじゃないのよ。」という答えは秀逸です。

「大きなよろこび」たちは次のとおり。

・正義である喜び

・善良である喜び(一番幸福だけど、一番悲しそう。「不幸」のところへ行って慰めてやるのが好きだから)

・仕事を仕上げた喜び

・ものを考える喜び

・もののわかる喜び

・美しいものを見る喜び

・愛する喜び(チルチルが背伸びしないと見えないところにいる。愛する喜びにちゃんと出会うには、まだ小さすぎるから)

・くらべもののない母の愛の喜び(「喜び」の中で一番純粋な「喜び」)

いかがですか?

・仕事を仕上げた喜び

・ものを考える喜び

・もののわかる喜び

については、仕事や勉強をしているときに特に感じることであり、確かに、このような喜びを感じているときに自分が嬉しそうに笑っているかと言われると、集中しているけれど笑ってはいないのでしょうね。

「この世には、人間が考えているよりずっとたくさんの幸福があります。でも、ほとんどの人には、全然見えないんです。」

という言葉から、目に見えない「幸せ」や「喜び」は自分自身で見いだしていかなければ、その存在に気づくことは出来ないものだと感じました。

ということで、最近自分の「幸せ」に名前を付けています。

「ひとりで仕事できる幸せ」

「ケガもなく指が動く幸せ」

「深呼吸できる幸せ」

「湯たんぽに癒される幸せ」(「湯たんぽにお湯を入れながら、やる気スイッチを入れる」

などなど・・・

「一見なんの代わり映えもしないこの『青い鳥』は、哲学書の一ページを翻訳するより難しいのです」とメーテルリンク自身が友人に送った手紙の中に記したように、この本を読むことで「人間とは」「生と死とは」「人生の意味とは」「幸福とは」など自分なりに学んでいけます。

『青い鳥』はメーテルリンクが、クリスマスの為の童話を頼まれて1906年に書いたものだということなので、クリスマスを前に手に取って読んでみてはいかがでしょうか?

【 編集後記 】

旅ではどうしても手に入れることが出来ず、家に帰ると元々飼っていた鳥が青い色に変わっていて「これが僕たちの探していた青い鳥なんだ!あんなに遠くまで探しに行ったのに、ここにいたんだな」という青い鳥の結末。

実はその後があることをご存知ですか?

せっかく見つけた青い鳥は餌をやろうとしていると逃げてしまいます。

「幸福」の意味を知ったチルチルたちにはもう幸福のシンボルである「青い鳥」は要らないということでしょうね。

Pocket

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。