プチ森林浴 翌日の気づき
昨日、潜在意識・ひらめきに任せる行動を取った結果、自分自身の「パワーチャージ」のためにプチ森林浴を行いました。
たった1時間ほど、ひとりで自然の中で過ごしただけなのですが、自分に「余裕」が生まれているのを感じます。
「もっと力を抜いて、自分の直感(ひらめき、潜在意識)に任せてみよう」
という気持ちになり、楽になりました。
また、家族に対してもほんのちょっと相手の立場を想像して寄り添おう、という気持ちの変化が。
少し前の私なら長女がボーっとしていると、
「宿題終わったの?」「明日の準備を終わらせてから遊んだら?」
と先に口が出てしまっていたのですが、
「この子は今何を考えているんだろう?」と一呼吸おいて考えることが出来ます。
長女はただボーっとしていたわけではありませんでした。
2年生で習う漢字のポスターを見て、「今習った漢字は〇文字だ!」と言う長女に、
「ああ、ポスターの漢字を見て数えていたんだ。彼女の時間を遮らなくて良かった」
と思えたのでした。
こういう余裕を自分にも、家族や他の人にも向けられたとき、ちょっといい気分になる。
これが大事なのかな?と思えました。
自然パワー、ありがたいです!
私を疲弊させていた原因は
そして、自然の中で私を疲弊させていた原因が分かりました。
「1分1秒も無駄にしたくない」「より効率的に時間を使いたい」
考えが、思いのほか、私を疲弊させていたようです。
考えれば、「無駄のない動き」というのは「職人の技」。
開業したて、時間管理初心者の私ごときが 最初から完璧を求めることが間違っていました。
経験を積んで、自分なりのやり方が見つかっていくものだと考えれば、今焦る必要は全くありません。
今は自分のやり方を見つけている途中なのですから、試行錯誤するのが当然でした。
初めてのことは無駄だらけ。
疲弊してしまったということは、必要のない思考やこだわりに振り回されていた証拠。
「ひらめきにとことん従ってみよう」という発想が湧いたのも、「ちょっと肩の力を抜いてみようよ!」というメッセージだったのですね。
子どもの時間は子どものもの
さらに、この「無駄にしたくない」考えは「子ども自身の時間も無駄にさせたくない」考え方に連鎖していたことに気づきました。
「宿題は?」「明日の準備は?」とつい 言いたくなるのは、9時に寝るまでの時間に「無駄なく時間を使って」余った時間で遊べばいいという、大人の効率化理論。
自分も親に「~しなさい」と言われると、「今やろうと思っていたのに!」と親から指図されることに反発を覚え、「自分が親になったら、もっと理解のある親になる!」なんぞと思っていたのに・・・
(子どもも「自分のことは自分で決める」自由が侵害されると、不快感を感じるのですよね。)
ただし、親になるとすっかり忘れて「子どもに指図する親」になってしまってました。
母親は子どもに余りにも近すぎる存在であるがゆえ、そして、赤ちゃんの頃から全ての世話をする習性が根付いているゆえ、子どもを守ろうとする気持ちが強すぎるのです。
「子どもと家で過ごす時間」を計算してみると、1日5時間20分しかありません。
朝1時間20分、夕方帰宅後から寝るまで4時間あまり。
たったこれだけの時間。
子どもにとっては家でくつろぐ時間も必要です。子どもの時間は子どものもの。
親である私がコントロールしすぎてはいけない、と気づきました。
子どもを信じて任せる。
これが親にとっては とても難しいことですが、子どもの想いを尊重しつつ、上手にサポートできる親になることが目標です。
「潜在意識(直感・ひらめき)に任せていれば 大丈夫」
という風に思えるようになったことは
時間を無駄に使いたくない → 無駄な時間などない。全部必要で、どうにかなる
子どもが言うことをきかない → もっと子どもに任せて信じてみよう
という変化につながり、「こうあらねば」と知らないうちに凝り固まっていた自分の見方を変えてくれました。
(プチ森林浴時間、侮れません!)
「ケセラセラ、なるようになるわぁ♪潜在意識に任せていれば大丈夫ー」ですね!
【 編集後記 】
今日は帰宅途中、バスに乗る前にトイレに行くと、長蛇の列。
今までは「はやくぅ!バスに乗り遅れちゃうよぉ!」
とイライラモードになりがちだったのですが、
根拠もなく「大丈夫。ちゃんと間に合う。
間に合わなかったら、次のバスに乗れということだ」
と自然に思え、「これが潜在意識に任せる」ということかな?と・・・
問題なくバスに乗れ、無駄なイライラを感じなかった自分がちょっと嬉しい(笑)