「枠を超える」ことの意味を目で見る

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 放置シダの葉、巨大化! 

我が家の庭スペースにシダの葉が、放置のままいつのまにかこんなに大きく育っておりました。実はこのシダの葉の親シダは・・・

 自然の営みの力強さ  

親シダは、プランターの中で小さく、勢いを無くし、緑の色も薄く、枯れかけの部分も。

このプランターの中の親シダの種が風に飛ばされ、自然にコンクリートの隙間部分の土に根を張り、大きくなったのが最初の写真の子シダ。

人間が何の手もかけないのに、自分自身の力でこんなにも大きく立派に育ちました。

親シダに比べ、葉も大きく、勢いもあり、緑の色も鮮やかで力強さを感じます。

自然の営みの力強さを感じますね!

 子育て、自分育ても同じ  

この親シダと子シダは我が家の玄関前にあるのですが、毎日この親シダと子シダを見る度に、

「枠を超える」ことの意味を目で見る感じがします。

そして、考えるのは子どもを育てるということ。

母親の私が、私の常識を子どもに押し付けることで、子どもに枠を設けると、こんなひ弱な親シダのように育つかもしれない。

余計な口出しをせずに、子どもが自然に伸び伸びと育つことで、子シダのように大きく、イキイキと成長できるとすれば、子どもの可能性に制限を設けることはしたくないなと。

という事で、子どもには、出来るだけ私の価値観で「○○しちゃだめ」「○○しなさい」を言わないように心がけています。

出来るだけ、というのは、子どもに全く口を出さない、というのは相当な困難があるから。

だって、うちの娘、何にも言わなかったら、洋服の引き出しの中にカビで真緑色になったパンを隠してたりするんですから!

(カビパンを発見した時は絶叫してしまいました(笑))

また、大人も同じ。大人を養育するのは親ではなく、自分自身というだけ。

自分で制限を設けて「○○すべき」「○○すべきでない」「○○は無理」と自分に枠を設けることは、自分自身の可能性を自分で潰してしまう事だと思います。

自分が栄養を取る場所はプランターという枠の中しかないと思えば、それまでだけど、子シダがコンクリートの隙間の土から栄養分を取るように、制限を設けなければ、どんな所からでも自分が大きく育つための栄養は吸収できる、ということですね。

プランターという枠の中で弱々しく生きる親シダ

枠を持たずにイキイキとどこまでも大きく育ってゆく子シダ

「枠を超える」ことの意味を目で見て、何か感じて頂ければ幸いです。

【 編集後記 】

実は、子シダが生えてきた時、抜こうと思ったのですが、なぜか躊躇して抜けませんでした。

いま、私に生きるパワーを見せつけてくれる子シダを見るたび、枠を超えてどこまで育つのか?その成長が楽しみになってます。

あの時抜かなくて良かった!

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